【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

「【共存】か?【共生】か?」

※信州小布施から帰寒して早くも2週間、驚いたのは連日報道される羆のニュースの多さだ。今年は特に多い。自分はまだ出会ったことはないが、思い返せば故郷小布施じゃ2回、出会ったことがあった。阿寒に生息する羆じゃなく、月の輪熊である。

 

(まだバンビだが、最近ちょくちょくやってくる。これも【共存】)

 

※1度目は小学校4年時の今頃。午前5:00ごろ半鐘がけたたましく鳴った。火事だ!窓を開けると、目の前の県道を大小3つの黒い翳が疾風のように駆け抜けてった。熊だっ!学校へ行くと同級生が興奮気味に大声をあげてた。「熊、オラチ(俺の家)の牛小屋で撃たれたんどっ!」。2か月ほどして、図書室の入り口に子熊の剝製が置かれてた。

 

※二度目は高校二年生の夏休み。リンゴ畑に熊が出てるという連絡。同級生の洋三の親(農業兼マタギ)についていった。これも朝5:00頃。「ド-ン」という銃声、「獲ったぞ~」の声。眉間に直径2cm程の丸い孔がある。痩せてたが立たせると175cmあった。

 

(天然記念物オジロワシの旋回。渡り鳥のはずだが留鳥も増えてるらしい、これも【共存】

 

※洋三の親は7頭目の捕獲だと言った。貰った肉を味噌仕立ての熊鍋にしたが、硬くて噛み切れない。チューインガムになるまで噛んでいた。不思議に急に山の一員になれたような気がした。あの頃は、村民は熊と共存してたのだろうか?それとも共生?

 

(もはや【共存】のシンボル。猫や犬に近い存在になりつつある)

 

Wikipediaによると【共存】:異なる物同士が同じ場所に存在してやっていくこと。【共生】:異なる生物同士が互いに関わり合いを持ち支え合いながらいきていること。つまり【共存】と【共生」の違いは、繋がりがある、なしと言うことになりそうだ。

 

※どうやら、北海道は羆と【共存】していくことが宿命らしい。だとしたら、人間はもっと【共存】のための知恵を出さなければならない。羆と人間の生活圏の間に、緩衝地帯(草を刈る)、電気柵を設ける・・などいろいろな手はある筈だ。だが、決め手は【共存】を肚に決め、羆の生態を社会全体で理解していくことなのかもしれない。

 

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人類は【共存】【共生】することで生き延びてきた。が、プーチンみたいに【共存」【共生】を拒む輩がいたせいで生き延びることができた、という生物学的一節もある。いずれにせよ、いままたプーチンのおかげでサバイバルが複雑になったことは事実だ。