【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 ああ 「無常」!

恥ずかしながら、相当な歳になるまで「ムジョウ」を「無情」と勘違いしてた。
申し開きをさせてもらえば、小学生時代に読んだヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」の日本語訳が「ああ無情」となってたからだと自己弁護してる。
別の「ムジョウ」を知ったのは、高校時代の教科書の平家物語を読んでからだ。「ムジョウ」は万物は常ならずことであると言うことを理解した。
ここに、エゾシカの角がある。阿寒の生物空間“ビオ・トープ”から拾ってきたものだ。エゾシカは毎年角が生え変わる。この生え変わりも「無常」のなせる業だろう。

(角の生え変わりには鹿自身が驚くらしい。「無常」と言うものの体験・・・)
ところで、もうすぐ東日本大震災から半年になる。なかなか復興が進まない中、作家で尼僧の瀬戸内寂聴が被災地を説法行脚してる。その説法の中に「無常」が頻繁に出てくる。
彼女は言った。「皆さん、“無常”と言う言葉は、万物が常に変化してるということを言ってるんですよ。ず〜と今のところに留まってることはない。今が最悪なら、必ずいい状況が訪れてくる。陽はまた昇る。希望を失わないでください」。
この元気付け説法に、涙を流しながら「元気を貰いました」という聴衆が多かった。流石である。
台風の影響で雨が降り続いてる。各地での被害のニュースと相まって鬱陶しい限りだが、何日か後には晴れることを願いながら「無常」という言葉を噛み締めている。
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