【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 シリーズ年末恒例イベント「餅つき」上

標茶(しべちゃ)の義兄さんの家に着いた。時計は6:00を指している。「ホラッ、ピッタリだ!」
土間ではすでにストーブに薪がくべられ赤々と燃えている。臼も杵も準備万端、年末恒例のイベント「餅つき」はスタートの合図を待つばかりだった。


このイベントに参加するのは、今年で3回目。役割も決まってる。体力不足にて「搗き手」は失格。臼の中で餅をこねくり回す「相取り(あいどり)」もモチロン、技術不足で落第。
というわけで、搗かれた餅をひたすら伸ばす「伸ばし手」が振り当てられた。でもそれでいい。「伸ばし手」のプロになってやろうじゃないか!
小学校4年生までは、郷里の小布施でも「手搗き餅」をやっていた。朝5時ごろ、「ペッタン!ペッタン!」餅を搗く音で目が醒める。
お寺のニイサンとジュンチャンがすでに搗き始めてる。「早く起きないッ!」バアチャンの叱咤激励の声で子供達は一斉に起きて土間に向かう。アルマイトのボウルやドンブリにはすでに、キナコやアンコ、大根オロシや練クルミなどが準備されている。
「それッ、行くぞお!」ニイサンの声と共に、搗きたての湯気の立つ餅が運ばれてくる。
「アチチッ!」子供達は、悲鳴を上げながら、その餅を小さく丸め、アンコやキナコをまぶしていく。「もうすぐ、搗きたてホヤホヤのお餅が食べられる」。
こんなに嬉しい非日常が、一年に何回あるだろう?嬉しいことに、冬休みはあと2週間も残ってる。
しかもお正月が間近に近づいてきてる。お年玉がもらえる、雑煮が食える。お汁粉や煮豆も食べられる。双六ができる、福笑いができる、トランプも花札も無礼講だ。手搗き餅はその華やかなファンファーレだったのだ。
標茶でも蒸し器から蒸気が立ち上り始めた。もち米の蒸れる匂いが漂ってきてる。
「さあ、行くべッ!」義兄さんの掛け声で、クーさんが杵を持つ。「搗き手」はクーさん「相取り」は義兄さん。
15臼、60kgの餅つきのスタートだ。齢64の古き心臓が高まりはじめるのを感じる。人の脳は斯くも簡単に時空を超えるのだ。今年もいろいろ発見があるのだろうなあ。(つづく)